お金を貯められない人の心理

貯金をするためには、収入以上にお金を使わなければ勝手に貯まっていくものです。収入の範囲内で生活し、ほんの1割でもいいですし、5%でも必ず手元に残すようにすれば、1年後、5年後には自然に貯まっていきます。

掃除をしていないパソコンの内部を開けてみると大量のほこりが貯まっているものですが、普段は見えないほどわずかなほこりであったとしても、時間の経過とともにどんどん積もっていきます。

それと同じで、単純に収入の1部を残していきさえすれば、お金はかってにたまっていくものです。そこに貯金しようという意思や努力は必要なく、「収入の1部を残しておく。」という単純なルールを守りさえすれば、かってに貯金はできてしまいます。

収入の1部を貯金することで、その分、生活に使えるお金が少なくはなりますが、たいていの場合、他の出費を切り詰めたり、倹約することで乗り切ることができます。収入の1割を貯金したからといって、それで生活が破たんしてしまうという人はまずいません。

それほど単純なことなのに、浪費家はなぜ貯金することができないのでしょうか?

それは消費するということに、必要以上に重きを置いてしまうことが理由のひとつです。

よく、「お金はあの世へ持っていけないから、そんなに貯め込んでも意味がない。」という言葉を耳にしますが、貯金をする人は、たとえ一生使うことがなかったとしても貯金するものです。全てを使ってしまう人は、一生使いもしないお金を貯めても意味がないと考えますが、貯金する人は必要以上に消費して物を買うことに意味がないと考えています。

つまり、消費に対する価値観が違うことになります。

例えば、ブランド物の洋服を買ったとしたら、そのブランドのデザイナーやショップ店員などにお金を使うということになります。もし、その人が月20日間、20万円の給与で働いていたとして、5万円の洋服を購入したとすると、5日分の時間を赤の他人のために働くということを意味しています。

100万円の自動車を購入したとすると、100日間は自動車会社のために働いていることを意味しているのです。

なので、収入のすべてを使ってしまう人は、結局、自分のすべての時間を赤の他人のために働いていることになります。今日はブランドショップのため、明日はグルメショップの店員のため、明後日は居酒屋さん、来週は自動車会社、再来週は不動産会社というように、毎日毎日、赤の他人のために自分の時間を費やす日々を過ごしています。

もし、お金を介在せず、実際の労働で支払いをするとなったら、面倒くさくなってそんな消費はしなかったはずです。

一方で、貯金が出来る人は、一定の時間を自分自身のために働いていることを意味しています。自分のすべての労働時間を他人のために使うのではなく、自分自身に使う方が充実感と納得感があるものです。

どうせ働くのなら、まっさきに赤の他人のために働くのではなく、まずは自分自身のために働くのが自然な在り方です。つまり、収入のうちの1部を貯金することは、自分自身を大切にすることにもつながっているのです。

お金を貯められる人と貯められない人の違いは、消費に対する価値観が大きく違っているということがいえます。